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フレンチポリネシアとタヒチ

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フレンチポリネシア  タヒチ

美しく輝く養殖真珠!!

フレンチポリネシア

フレンチポリネシアの語源はギリシャ語のpolyes と neros̆「多くの島々」という意味です。大平洋のニュージーランド、イースター島(またの名をパパヌイ)そしてハワイ諸島の3頂点を結んだ三角形のまん中にフレンチポリネシアがあります。近づくことができないほど遠い遠い所というイメージが多くの冒険者の夢をかき立てました。風下島と風の島があるソシエテ諸島、マルキーズ諸島、ガンビエ諸島、オーストラル諸島とツアモツ諸島の5つの諸島から成っています。

歴史の概要

3万年前、アジアから東南への大規模な民族移動が始まったころから、ポリネシアに人々が住み着き始めました。マルキーズ諸島がまず大きな丸木舟でやってきた豪傑な水夫たちによって占領されました。水夫達は陶器工であったり、園芸職人であったりして外舷浮材の丸木舟やいわゆるララピタ様式の陶器を携え、たくさんの有 vな植物と家畜も所有し、食糧が確保されていました。3000年前(BC1000)ごろからフィジー、トンガ、サモアから広がり、そして1000年ごろには東ポリネシア(遠いオセアニア)一帯に分布しました。そうしてニュージーランドまで行き着き、温暖な気候に順応しました。
1400年ごろになると、人々は定住し始めます。血気にはやる水夫たちの軌跡を物語るもののひとつにマラエと呼ばれる寺院の廃虚があります。主なマラエはソシエテ諸島(タヒチ、モーレア、ボラボラ、ユアヒネ、ライアテア)の政治宗教の中心地、ライアテアにあります。こうして、およそ300年の間、つまりヨーロッパ人の到来まで、彼等は他の世界から切り離されて生活します。
現在、フレンチポリネシアと言われている地域はフランスが正式に所有宣言をするより前にすでに他の偉大なる航海士によって実は発見されていました。たとえば、スペイン、オランダイギリス、フランスの商船のキャピテンたちが訪れ、南洋の海図をすでに作り上げていたのでした。そしてこの大平洋地域の島々、諸島、環礁について書いていました。1767年、ワリスがタヒチ沿岸に到着し、続いてクック、ブリフ、ブーゲンビルが到着します。後にタヒチの首都となるパペーテは活性化し、LMSという名称で有名なロンドン宣教師会が宗教活動をさかんに行ったのもこの頃です。クック船長は1817年にパペーテの中心に住み着きました。1842年、何度にも及ぶイギリスとの小競り合いの末、フランスが保護国となり、38年後にはポマレ王5世にフランス政府に併合された領土となることを承認させました。第二次世界大戦後、ポリネシアも国際交流の時代に入ります。そうしてオセアニアのフランス機構となり、1960年代には前例のない経済発展を遂げます。
1984年以降、フレンチポリネシアは内政自治国となり、領土議会と政府と大統領が存在します。タヒチは21世紀に立ち向かう準備がすっかり出来ました。

多様な人々

フレンチポリネシアにはおおよそ25万人の人々がいあmす。そのうち50%が20才未満の若者です。83%の人々がソシエテ諸島に住んでいます。4%はマルキーズ諸島、3.5%がオーストラル諸島、残りの6,5%がツアモツ諸島とガンビエ諸島に住んでいます。タヒチだけで15万人になります。人口はポリネシアの首都、パペーテに集中しています。島の60%はポリネシア系の人々で、16%はポリネシアとヨーロッパ人または中国人との「ハーフ」で、11%はヨーロッパ人、5%が中国人です。ポリネシアでは住民のほとんどが熱心な信者で宗儀を守っています。1797年にプロテスタントの神父たちがポリネシアの宣教活動を始めましたが、30年の間に5つの諸島はキリスト教信者でいっぱいになりました。おくれて1830年にカトリックの宣教活動が開始され、ガンビエ諸島を中心に活動を繰り広げていきました。今日、プロテスタント教徒は人口の半分を占めています。日曜日の朝、キリスト教の祭式に参列することができます。そこで聞こえる賛美歌はうっとりするほど美しく、衣装も豪華です。女性達の衣服や帽子は真っ白です。

熱帯気候

フレンチポリネシアは亜熱帯または熱帯気候で、風にさらされるか否かで雨量に差異が出て来ますが、しのぎやすい気候です。ツアモツ諸島、ソシエテ諸島の環礁は熱帯気候に属し、1年中暖かく凌ぎやすい気候です。高地地帯は湿気がありますが、環礁はトロピカル貿易風が吹いているため、ずっと涼しくなります。一番湿気が多いのは6月頃です。しかし、その年によって、エルニーニョの影響で乾期が訪れることもあります。このエルニーニョ現象はバルパライゾからチリ、またはオーストラリアのシドニー間の大平洋の海水温度に影響を与えます。そして乾期、雨期を繰り返し、大規模な洪水を引き起こします。

島々の地理

大平洋のまん中にあって、フレンチポリネシアは400万平方キロメートルの広さを誇っています。フランスの海外県として5つの諸島に分かれています。ソシエテ諸島、マルキーズ諸島、オーストラル諸島、ツアモツ諸島、ガンビエ諸島です。これら諸島は火山噴火によってできあがった島が珊瑚礁でできた島です。タヒチは一番重要な島で、ポリネシアの島々の中では一番大きく、面積は2042平 禛Lロメートルあります。島の一番高い山は標高2200メートルのオロピティ山で、タヒチの島を小高い島にしています。他の環礁の島々はどれも背丈の低い島々です。

印象的な距離

タヒチ → パリ 17100キロメートル
タヒチ → ロサンジェルス 6200キロメートル
タヒチ → オーストラリア 5700キロメートル
タヒチ → 東京 8800キロメートル
タヒチ → ボラボラ 268キロメートル
タヒチ → ガンビエ 1600キロメートル
タヒチ → ツアモツ 1500キロメートル

 

5つの諸島の主な島々

ソシエテ諸島 風の島:タヒチ、モーレア、テティアロア、メヘティア
ツ下の島:マイアオ、フアヒネ、ライアテア、タハア、ボラボラ、ツパイ、マウピティ

ツアモツ諸島 ランギロア、ティケハウ、アルツア、アヘ、マニヒ、タカロア、マルテア、ヒケエル

ネンゴネンゴ
ガンビエ諸島 マンガレヴァ、テモエ
マルキーズ諸島 ヌクヒヴァ、ウアフカ、ウアポウ、ヒヴァオア、タフアタ、フツヒヴァ、モタネ、

ファツ
オストラル諸島 リマタラ、ルツル、ツブアイ、ライヴァヴァエ、ラパ、マロティリ

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伝統的な住居

異国から到来し、戦争がなくなり、落ち着いた人々は海で漁業を営みました。こうして谷と海岸の間の社会生活は徐々に変化し、少しずつ、谷中心の住居形態が海岸ぞいの住居形態にとって代わるようになりました。もちろん、川岸での野菜栽培はずっと存続していましたが、生計を立てる生活場所が逆になりました。人々は谷に住みながら海岸へ下りて漁業をするのではなく、沿岸に住み、野菜を収穫に山へのぼるようになりました。
それ以後、沿岸での生活形態が定着しました。そして新しい可能性として、海の上に家を建てるようになりました。そうすることによって、家を建てられる場所が増え、漁業活動にも便利なピロティ様式(吹きさらしの柱)がどこの島でも環礁でも盛んになりました。海上のファレが出来上がったのです。ヨーロッパの人々は部屋がいくつもある一軒の家に住みますが、タヒチの人々はひとつひとつ別々の機能を持ったいくつものファレを住居とします。寝るための家、料理用の家、食事をするための家、集まりのための家などが別々にあります。そしてそれを一まとめにして囲む石垣や垣根があります。だから、ヨーロッパの伝統的な住居、村の形態とはずいぶん違っています。

舞踊と歌:南の海のリズム

舞踊と歌は太古の昔から文化の担い手でした。タヒチに祭り、音楽、踊りはずっと存在して来ましたし、人々にとってなくてはならないものです。初期のポリネシア発見者たちの記録にもそれが書いてあります。ヨーロッパの作家達は競ってタヒチ女性の官能的な踊り、その動きの美しさ、衣装の素晴らしさについて書いています。航海士の旅行記、物語を通して、タヒチはポリネシアの宝石のような扱いを受け、人々のタヒチへの憧れはタヒチ神話となって、ヨーロッパ各地へ伝播しました。神話は西洋の人々の大衆心理にバヒネという新しいキテラを連想させることになりました。
とくに舞踊はこのタヒチの神話化におおいに貢献しました。友情のしるし、お祝い事、または宗教的な儀式として、ポリネシア舞踊はその土地の伝統として根付いていました。
宣教師がタヒチへ到来してから長い間、ポリネシアの舞踊は宣教師によって禁じられました。舞踊が文化的行事として認められるのは1950年代に入ってからです。今日、舞踊は若い女性達の間で人気を博し、非常に盛んで、とくにタヒチアンダンス、タモレは女子が小さい頃から習い始めます。

ポリネシアの入れ墨

マルキーズ諸島の文化、口承伝統と関係するタヒチの入れ墨には知識、回想、教訓が盾ワれました。その昔、入れ墨は社会的な地位を表していました。伝統的に、入れ墨ができるのは上層階級の人々に限られていました。入れ墨を施すことによって、子孫を繁栄させ、神秘的な力を得るとされ、聖なるもの、神秘的なものと結びついたシンボルとして真珠が用いられ、それは同時に成人式や妊娠によって個人が集団に受け入れられることと結びつけられていました。入れ墨は英雄だけに、とくに勇ましい戦士にだけ施されたのでした。

ツアモツ諸島

ツアモツ諸島はタヒチから遠い諸島で、ポリネシアで一番大きな諸島で76の島と環礁があり、その総面積は20万平方キロメートルを超えます。長い間疎遠な地とされてきましたが、250の真珠養殖場が出来、またダイビングに格好な観光スポットとして注目されてから、ツアモツ諸島は活気を帯びてきました。ツアモツの人々の簡素な住居は石灰で出来た白い壁で囲まれ、観光客を魅了しています。
海の近くでは食いしん坊の魚の群れがいて、しまあじ、パイロットフィッシュなどの群れをなして泳いでいます。いねむりザメという名の小さなサメは子供達の遊び相手にピッタリです。環礁の広い海の上に桟橋や真珠養殖作業所のシルエットが見えます。好奇心の旺盛な人々のために真珠養殖を見学できるツアーがあります。養殖真珠の魅力を心ゆくまで楽しんでいただけます。
タヒチの都会の喧噪をよそに、ツアモツ諸島はわたしたち誰もの心の奥に眠るロビンソンクルーソーの夢をかなえてくれます。日常からの脱出、海と空の間で自然が与えてくれるものと共に生き、時間の存在しない世界でのくらし方を習います。

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