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養殖真珠と真珠貝
タヒチ真珠!!島々の魂、ポリネシアの宝石!!
1950年から1960年にかけて真珠貝の絶滅が危惧され、ポリネシアでも年間ほんの少しの小さな真珠しか生産されなくなりかけた時、神々がポリネシアにやって来ました?そうなのです。伝説によると、平和と豊かさの神、オロが地上に舞い降り、ボラボラ姫にラグーンの魚達のうろこと養殖の真珠で出来た素晴らしいジュエリーを愛のしるしとしてプレゼントしたのでした。
<真珠母>の歴史
タヒチ人、ポリネシア人、南の海の島々に初めにやってきたヨーロッパの人々は真珠貝の螺鈿を使用していました。実用的というだけでなく、装飾的な面でも重宝されていたのです。その昔、装身具として磨かれた真珠貝の螺鈿が使われ、玉虫色にキラキラと輝きは、身に着ける者に壮麗な雰囲気を与えました。それで人々は真珠貝の螺鈿を探し求め続けましたが、真珠養殖の貝としてではなく、(自然の真珠は15,000個の貝に1つの割合で入っていた。)貝自体の美しさが魅力的だったのです。
貝タン、寄木細工、楽器のキーなどに使われ、19世紀初頭にはマーガレット号という商船が真珠貝の大掛かりな採集を企てたという文書がパペーテで見つかっています。1802年、ガンビエ諸島とオーストラリア間で真珠貝の積荷輸送が行われました。需要は更に拡大し、商船の数、サンフランシスコとバルパライソまたはシドニー間の運行頻度も何十年のうちに増大し、それはまったくもって無秩序なものでした。この無法状態の商業活動を制御しようとフランス政府が腰をあげるのは、なんと19世紀も終わりのころでした。
この時代、布のはしきれだのガラクタ、ナイフ、はりがね、米袋など近代社会のつまらない小物と引き換えに、ポリネシアの人々から何トンという真珠貝を手に入れることは簡単なことでした。この収穫方法、どちらかと言うと、洗いざらいかっぱらうという様相の採集は自然の蓄えを残すことなく、第二次世界大戦後まで続きました。
しかし、1870年ごろからフランスは真珠貝の螺鈿と黒真珠に関する研究を始め、この状態のままではポリネシアの海は砂漠と化してしまうと警鐘を鳴らし続けていました。
それにもかかわらず、タヒチではでたらめが横行し、40メートルの深海まで鉄のおもりをつけて、水中メガネと手袋と網だけで潜るタヒチ人があとをたたず、サメやうつぼの餌食になったり、潜水事故によって気が狂ってしまう人もいました。相場また生産量の浮き沈み、まさに潜水さながらの状況は1960年代まで続きました。1957年にプラスティックのボタンが発明され、市場に出回るようになり、やがてこうした活動に終止符が打たれました。
タヒチの生活様式と真珠養殖場の活動、その調和
初期の真珠養殖はさながら好敵手同士の戦いのようでした。確かに環礁の限られた脆い空間を利用しての真珠養殖は住居地から離れ、その気候条件もきびしいものでした。しかし、こうした生活環境への適応をポリネシアの人々は大変辛いものとは思いませんでした。真珠養殖の仕事に携わることはタヒチへ移住していたプアモツの人々にとって自分達の故郷フェヌアへもどる機会となりました。
潜水、航海をしてサンゴ礁で調和のとれた生活をしてきた海の民は、こうして、かつて魅了された都会のネオンを離れ、再び、ツアモツの環礁にもどり、生活しはじめました。
たとえば、ツアモツ諸島の北部のタカロアやタカポトが好例でしょう。またヒクエルー、ファカラバ、カウエヒ、マケモ、アンナなどの島々は1980年代の真珠養殖の開発によって、ずいぶん、その様相が変わりました。どの島も現在、真珠養殖に全精力を傾けています。
真珠養殖は ポリネシアのアイデンティティー
ポリネシアに住み始めた初期のころから、タヒチの人は真珠貝をいろいろな用途に利用してきました。貝の螺鈿は家庭用品、釣りの用具、釣り針にも使われました。酋長の装飾品、また神々への奉納にも使われました。ヨーロッパ人との商業取り引きの際の貨幣として、真珠貝が用いられ、キャプテン
クックも「島の人々の真珠貝への価値観はわれわれが持つ真珠貝の価値観とほぼ同じである。」と報告しています。
今日、国際的な規模においても目覚ましい発展を遂げた真珠養殖は環礁を理想的な地形環境のイメージと結びつけました。100%天然の真珠養殖のイメージは小さなパラダイス、純粋無垢の空間というポリネシアの神話をつくりあげました。要するに、黒真珠の養殖の開発が進むにつれて、伝統と現代性がみごとに調和したポリネシアは、人々に新しい夢を抱かせはじめました。観光も促進され、ホテルが建設され、ポリネシアの舞踊と歌は世界をかけめぐるようになりました。
真珠養殖の観光
非常に面白いテーマです。真珠を扱う宝石店と養殖場を切り離して考えることは出来ません。まるでパラダイスのような海辺に腰を落ち着けて、神秘的な真珠づくりの過程を見学することも出来ます。ツアモツ諸島、風の島、ガンビエ諸島での黒真珠養殖見学は民宿に泊まり、小さな養殖場を見学します。
ポリネシア真珠養殖の中心地、いわば真珠の<ゆりかご>であるマニヒ環礁はタヒチから500キロメートル離れていますが、美しいパラダイスのような海への観光と黒真珠養殖見学として非常に有名です。いわば真珠養殖見学のメッカであり、その意味でもオーガナイズは完璧です。
常時、観光客に門戸を開いているので、十分にこの真珠養殖の世界をご覧になっていただけます。更に好奇心をお持ちの方は、直接、養殖場の方まで訪問なさり、何千という真珠貝がポリネシアの静かな海で養殖の黒真珠を抱いて眠る様子をご覧いただけます。目のさめるような光景です。
またツアモツ諸島、風下諸島、ガンビエ諸島でも黒真珠の養殖場の訪問が可能です。民宿を利用しての小規模な黒真珠養殖場の訪問です。
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核入れ その貴重な瞬間
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ジュエリーになる前の養殖真珠
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真珠養殖場 設置
環礁での養殖場を設けることは常に台風の危険に身をさらすことになります。真珠養殖場は繊細なものです。珊瑚礁群には潮が流れ、海水から真珠貝の成長になくてはならないプランクトンや無機塩といった理想的な栄養が供給されます。養殖場はピロティ(吹きさらしの柱)で出来ており、この建築様式によって、真珠貝の螺鈿の具合、核入れ、また採取にいたるまで養殖のすべての作業を監視することが出来ます。
高品質のジュエリーとなる真珠はポオリネシアの海で4年の歳月をかけて育てられます。ボラボラ島、ツアモツ諸島、ガンビエ諸島、様々な小島では養殖場設置のための委譲が次々に行われ、今や頂点に達しました。養殖場で使われている真珠貝はPinctada Margaritifera(ラテン名)でウグイス貝の一種です。
Pinctada Margaritifera真珠貝 稚貝の採集
Pinctada margaritiferaという真珠貝の中でタヒチの真珠は養殖されますが、この貝は上質の螺鈿形成をすることで世界的に有名です。その名も「螺鈿」で、熱帯海の中でも大きな貝に属しており、貝が成体となると大きさ30センチメートルに達し、重さも5キロを上回ります。
典型的なものになると、「黒唇の真珠貝(または黒蝶貝)」のあだ名で親しまれている貝の中には9キロにもなるものもあります。
ふつう真珠貝は礁湖で育ちますが、沖合いで育つものもあります。たとえば、マルキーズ諸島の真珠貝は礁湖で保護されず、岩場に付着して自然に生育しています。こうした荒々しい生育条件で出来る真珠は数少なく、小さな痩せたものになってしまいます。ポリネシアの静かな礁湖の方が好条件です。
初期の開拓者は潜って貝を採取する方法より、更に組織化され、法規の定まった採取方法の必要性を実感しました。しかも、潜って採取される貝は挿核施術の成功率が低く、これを常時核入れの貝として使用することはリスクの大きい作業となるのでした。
マ取はパンクタダ マルガリティフェラの小胎貝をコレクターに付着させることから始まります。ピナクルと呼ばれる尖柱または繋船柱を海中に設置し、3メートルほどの深さで綱をはり、ブイに結びつけます。綱の長さは100~2000メートルあり、天然あるいは化学繊維で出来ており、これにコレクターを定着させ、ブイを利用し、水面下に沈めておくのです。
驚くべきことに、この自然の宝石、真珠貝は性転換をします。とくにストレスで性転換をする場合もあります。雌の時は真珠母は1年中産卵しますが、真珠貝が成貝となって、繁殖力を持つまでに3年かかります。自然環境の中で種族が生き残るよう、何千万個という卵が真珠貝によって放たれますが、精子が受精できるには偶然の女神が微笑まなくてはなりません。
養殖作業所のある場所は交配が行われやすいよう自然の貝がふんだんに生息する地域を選ばなければなりません。潮の流れが速すぎる水路の近辺、また逆に浅くて水流が停滞しやすい場所は避けた方がいいでしょう。作業所の場所選びとともにコレクター の設置時期も考慮しなければなりません。パンクタダ マルガリティフェラの最大量産卵期は季節の変わり目、気温の変化の激しい時ですから、4月5月、あるいは11月12月といった季節がコレクター設置に適した時期です。産卵が行われてから、15日~20日してからコレクターに小胎貝が付着します。しかし幼生はしばしばプランクトンを餌とする生物の餌食になってしまいます。
マ業所の水面下の深さ:技術的に一番いいとされているのは1,5~3メートルで、貝がおおきくなるにつれて15メートルの深さまで自然の重さで下がるにまかせます。このプロセスによって、非常に脆い若年の真珠貝は、真珠養殖者が最も恐れるこがねもんがらやパロットフィッシュといった天敵の魚から守られます。15メートルの深さに保たれ、海底との接触を避けると同時に水面の波の打ち返しによって生じるコレクターからの剥離を防ぐことができます。
貝が直径6センチメートルくらいになると、いろいろな作業がしやすいように移植されます。これにより、受精されてから8~12ヶ月の死亡率が大幅に減少しました。
若年の真珠貝の飼育
コレクターから外された若年の真珠貝は2年、あるいは3年かけて飼育され成貝になると挿核施術が行われます。この飼育段階は挿核施術室が設備されている養殖場で行われます。
というのは挿核施術の後、すぐに環境に馴化させることができるからです。直径5~6センチメートルに達した真珠貝は籠か柵に入れられ、8センチメートルになるまで待ちます。8センチメートルになると、10~20にまとめて、連ねられるか、個別に籠の中に入れられて挿核施術を待ちます。
飼育期間中の真珠貝は常時、まるで宝石のような扱いを受け、水中であるいは水面で定期的に掃除をしてもらいます。2ヶ月ごとに水圧を利用して洗浄、付着物を取り除いてもらいます。
決定的瞬間 核入れ
核入れは非常に大切な瞬間で、挿核施術をする人の腕のよさがすべてを決定するのです。挿核施術を受けた真珠貝の50%は死んでしまうか、挿入核を吐き出してしまいます。20%の貝が生み出す真珠は粗末なもので売り物にはなりません。
挿核は生殖腺に核と外套膜を挿入して行われます。核は日本の淡水双殻類から出来た核で、日本だけでなく、ミシシッピ川や揚子江のものもあります。外套膜は健康な真珠貝の内側にあるひだのようなものです。
パンクタダ マルガリティフェラの準備
真珠貝が成貝となるには2、3年かかり、大きさは最小でも12センチメートルになります。養殖の作業所から出された真珠貝はコレクターからはずされ、養殖場の挿核施術室付近または海岸に移されます。
ピロティ(吹きさらしの柱)式の養殖場は真珠貝の移動を最良の状態に保ちます。あまり海岸に近すぎると挿核施術室付近の海水温度が高すぎるか流れが停滞しすぎるかで挿核施術の結果が芳しくなくなります。
挿核の前に真珠貝は洗浄され、付着物を落とします。そうしてから、拡張器で1,5センチメートルほど貝を開き、すばやく挿核施術が行われるよう固定します。
挿核施術
施術者は健康な真珠貝を選びます。そして真珠層を形成したばかりの貝の外套膜を切ります。この外套膜は小さく刻まれて、これから真珠をつくる真珠貝へ移植されます。
核として挿入する核の大きさは真珠母貝の大きさに合わせて決められます。形よい丸い真珠が出来上がるにはもとの核となる核ができるだけ表面がなめらかであることが決め手になります。そこへ真珠層が形成されていくからです。なめらかであればあるほど、美しい真珠が出来上がる可能性が高くなります。
施術者は真珠貝の生殖腺を切開し、核と外套膜を挿入する空間を作ります。挿核施術が終わったらすぐに貝を閉じ、桶に入れ、蝶番が上になるようにして置きます。そうしないと、貝の重さで切開口から核が滑り出て、はずれてしまうからです。挿核施術は2分ほどで終わります。貝はひとつずつ袋に入れられて、核を貝が吐き出した場合、すぐ分かるようにします。
挿核施術の上手な日本人
日本人の技術は最高度に達し、パンクタダ マルガリティフェラに関しては1980年くらいまで施術者と言えば日本人という状態が続きました。今日でも挿核施術後に貝が核を維持する成功率の高さでは日本人が一番で、65%、キャンペーンなどがあると90%という成功率が記録されます。
1980年から1990年にかけて真珠養殖が盛んになると、腕のいい施術者が足りなくなってきました。そうした微妙な状況下で中国人の施術者が求められました。中国では労働運賃が低いことから、人件費節約そして生産高の増大が可能となりました。
ポリネシア人の施術者養成も行われ、パウモツの最初の施術者としてはペテロ ツパナ氏が有名で、彼の核を維持する成功率は70~80%です。成功をもたらすものは忍耐と継続力であり、彼の施術者としての経歴はそれを如実に物語っています。またツバナ氏は苦笑いしながら施術者としての成功に必要なのは、忍耐と継続力であるから、それゆえポリネシア人の優秀な施術者が少ないのだと言っています。
真珠の誕生し、形成されるまでと浜あげ
長く待つこと、そして毎日のように養殖場で貝の手入れ、管理をすることで高品質の天然真珠が出来上があります。真珠層の上皮が育つと、真珠嚢を形成します。
移植した外套膜の上皮からコンキオリンという黒い有機物が分泌され始めます。これがまず土台として定着層となり、浜上げされるまで真珠層の分泌が続きます。この層の重なりが挿核施術から18ヶ月の間、均等に形成されると、真珠層の厚さが1ミリ以上のきれいな円形の真珠になります。
養殖真珠の90%は純粋な霰石で出来ています。真珠と真珠層の貝が光にたいしてまったく異なった反応をするのは、分泌が一方においては球形に他方においては水平に作用するからです。薄い霰石の層が、高品質の真珠の場合、何千層も重ねられ、自然のあるいは人工の採光のもとで霰石のミクロ結晶体が放つ光沢が真珠で言う「テリ」の質を決定するのです。
小粒真珠か養殖真珠か
19世紀の終わりにポール ゴーギャンが知っていた真珠は天然の小粒な真珠で炭酸塩カルシウムが成分の霰石の小さな粒でした。真珠貝の体に異物が入り込むと、防御作用でその異物の周りに霰石の層が形成されます。貝殻と同じ成分です。その異物は時として単なる砂粒のこともあります。この分泌作用によって真珠層が形成され続け、こうして円形の真珠となるのです。
こうした小粒の天然真珠といわゆる養殖真珠の本質的な違いは、養殖真珠には核があることです。手持ちの宝石のデザインを新しくする時に、宝石専門のレントゲン撮影で、この核を確認します。この作業で天然の小粒真珠が見い出されることがありますが、、現在、世界市場で天然小粒真珠を見かけることはまれです。養殖真珠も天然真珠もその素材は同じで、どちらも真珠層からつくられた「天然」なのです。「人工真珠」ではないということを明記したいと思います。真珠層の分泌作用はまったく自然な条件下で行われています。
養殖真珠の公認
1983年、タヒチの真珠は、宝石金銀細工商国際連合 CIBJOに正式に公認されました。
真珠貝がこの素晴らしい宝石をつくりだすために非常に複雑なプロセスがあり、その影ではこれを見守る人間のはかり知れないエネルギーが費やされています。そのため、見事な円形で直径の大きな真珠は表面の質がよく、そしてめずらしい色であれば、かなり高価なものになります。真珠の場合、ペンダントや指輪、ブレスレットとお揃いのイヤリングなどという商品がないのは、ひとつひとつの真珠はユニークであるからです。あなたのものとなった真珠は定期的なお手入れが必要です。
次に真珠の販売条件、そして非常に手ごろな価格の美しい未曾有の真珠のカタログをご覧に入れます。
タヒチの真珠!!生きている宝石!! 真珠万歳!!
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